等身大の自分しか書けないもの
おはようございます、ヨミ君です
独り言でございます
過去記事を読み返す度に黒歴史を塗り重ねているなぁと日々見ているわけだけども
自分自信が発信するものはあくまで
自分自信の身の丈に合ったものじゃないと
自分自信と発信してる内容がバラバラになって迷子になってる事に気がつきまして。
ちょっとこれは恥ずかしいなと。
例えば恋愛マスターでもないのに恋愛について強調するためにわざとマウントを取りがちな文言を書き並べても「何こいつ偉そうすぎん?」みたいなイメージしか受け取ってもらえなかったり
自己啓発を発信してそうなのに本人自身は何か成果を出したり何かしらの結果や一時的でも成功してるわけでは無かったりした場合
「ん、成功してない人の啓発って何?」みたいな
酔ってたんだなぁってすごい刺さります
例え何も無くても何も成し遂げなくても
響く人に響いてくれればなんて綺麗事を並べても
身の丈に合わない言葉は自分自信をみすぼらしくするだけだったんですね
行動しない人の綺麗事はただの綺麗事にしかならないんだって身をもって感じた所存にございます
また人の内面が可視化されやすくなったSNS社会では思ってることを自由に発信出来るからこそ
発信しなくてもいいことをついつい
欲求に沿って発信してしまったりしがちで
努力の過程をわざわざ見せびらかすっていうと
ちょっと受け取り難いけど
己の努力を晒して頑張ってますアピールを
してもそれが報われなかった時の代償は
アピールをしなかった時の比じゃないと思っていて
そうゆうのって個人にとっては当たり前の事だからわざわざ主張することでも無くて
会話の中で聞いたら実はめっちゃ努力してましたこの人みたいな。そっちの方が好印象的というか
努力の過程を主張すること自体がいけないとは思わないけど努力そのものを美徳として捉えるのは結果に繋がらなきゃ意味がなくなってしまうので結果的に悪い方にレバレッジをかけてしまいがちかなと
逆に努力を努力と思わず発信するほどでもない当たり前だと思ってる事がリアルでは評価されたりするので結果が伴えばこれは結果的に良い方にレバレッジがかかっているのかなと
僕は悪い方にばかり向かっていたような気がして、
早朝から猛烈に反省している次第でございます
改善してみよう