Yomi43のブログ

僕が体験して思った事を好き勝手に発信していきます

安定していく日々

 

おはようございます。

 

この3連休最終日、月曜日の朝を迎えて夜更かしをしてしまったばっかりに深夜テンションでまとまりのない脳みその中身を文章にして残しておこうという突発的な発想のもと、ブログを書いていこうと思った次第にございます。

 

なにいうてんねん自分と思った方は何も得がない内容なのでそっと閉じましょう。

 

でははじまりはじまり。

 

 

 

 

 

 

 

 

この3連休(正確には木金で代休を使ったので5連休頂いてます。ありがとうございます。)を過ごして思ったことがあって、それは

 

・新しい体験をしないと自堕落な生活に陥る(無駄に過ごしてしまう)

・休日後の出社が嫌になる

・何もやる気がなくなる

でした。

 

1つめの「新しい体験をしないと自堕落な生活に陥る(無駄に過ごしてしまう)」について

 

日常的に社会人にもなるとルーティン化された作業の如く朝起きて出社、退社後は帰宅して就寝を平日に過ごし、休日にやるべき事をこなし余暇を過ごすのが大体だと思います。

 

しかし丸5日間、休みを貰うと最初の1日目は何もせず過ごそうと思ってしまうとそこでもうアウトなんだと気が付いた。

その事実に気が付いたのが5日目の今である。

お気づきであろうか?そう、遅すぎたのである。

 

生活習慣は狂い、毎朝見ていた日の出を拝む事なく昼過ぎの太陽を見て萎えながら目覚め完全にリラックスした脳みそが再び二度寝、三度寝と繰り返し気が付けば寝れない夜中を勉強だけで過ごすにも完全にリラックスモードの頭ではあまりにも身が入らずSNSや動画ばかり見て消費する日々

あぁ、なんて人間は学習しない生き物なのだろう。

 

とある研究では変化(刺激的体験)のない休日は安定を求めるため脳が完全にリラックスしてしまい活発的な行動(または集中モード)に入りにくくなる事が証明されている。

 

今回の一件に関してもぐうの音も出ない程に疑いようのない事実だった。

果てしなく後悔してしまった。

頭の中では試験一週間前であったりカリキュラムのこと、自社の今後のロードマップやら現場で行う業務の責任について山ほど考える事がある分余計に自責の念にかられてしまう。

 

5連休という名目とは名ばかりに休む暇などどこにもなかったのかもしれない。

だからこそ逃避行動を起こしたくて何もしなかったと言えばそうなるのかもしれないけど、そうではない。

もっと考えてみればこのパターンの後悔は幼い頃から何度も何度もやってきた。

わかりやすく言えば夏休みの宿題みたいなものだ。

 

毎日毎日自堕落な生活を送り、学習による成長をせずにただ宿題を終わらせればいいと考えた子ども達のように「たまにはいいよね」なんて言い訳を述べて何もせず何日も無駄にしてしまう行動を僕は何年も前から繰り返してきた。

 

ただ当時は何が悪いのか、悪くなくとも自分の価値を上げるためにどうすればいいのかすら思いつきもしなかったのだからしょうがないのかもしれない。だってなりたいものも目指したいものもなかったのだから。

 

そして今、同じ失敗を繰り返した。

今回は無知とは違う、目標があって、目指すべき事がある。その中での失敗は過去とは重みが違った。

 

今回の失敗から得た事は

休みとは、体感的に何もしないでベッドの上で体を休ませることではなく

普段感じれない自然に触れたり、適度に体を動かしたり、日を浴びて散歩しながら読書したりとリラックスする事が休みの目的だ。

 

ドラマやアニメで見るサラリーマンのお父さんの休日みたいに昼間からビールを飲んで雑魚寝でテレビを見るのは休みではなくただの自堕落だと再認識する事ができた。

同じ失敗は繰り返さないようにしよう。

 

 

 

2つ目と3つ目は大体同じ「休日後の出社が嫌になる、何もやる気がなくなる」について

 

1つめの体験と感想からおおよそ想像がつくと思うけど、完全に脳がリラックスモードに突入している。これは端的に言えば川の流れに身を任せて流れていく水のような感覚といえば分かるかもしれない。

 

変化を望まない、現状維持だけを望む

リラックスする事に慣れた状態でいきなりアクティブに動き出したくない、そんな状態

 

人間を含む動物は本来、弱肉強食の世界から危機感を持って生きている。

そんな中で何もしなくても危機もなく済む状態を作り上げる事が出来たらどうなるのか?

 

答えは簡単だ

「何もしなくなる」

それだけ。

 

しかも「何もしなくてもいい分だけ何もしなくなる」完全に電源をOFFにした状態だ。

 

人の脳には恒常性という機能が働いていて日々の無意識な習慣が人生の40%以上を締めている。脳からしてみれば自堕落な生活だろうと脳自身の最適化、無駄を省いて効率よく働く方法を取ってみれば最善策なのだろう。

 

が、僕たちの目的は違う。

脳は脳の最適化のために習慣になりやすく負荷の少ない行動を習慣化し易くするが、僕たちは僕たちの望む生き方のために行動し続けなくちゃいけない。

 

脳が送り出す無意識にも近い指示に従えばどんな大富豪でも簡単に転落する。

ここが人の悩みの根幹な気がする。

 

自分の望む生き方をしたい、でも今の気持ちは楽を選ぼうとしている。そうだ、いつも頑張ってるんだから今日ぐらいはのんびり過ごそうじゃないか!

 

そういって都合の良い日々を過ごし変わらない平日の作業に明け暮れ翌週末には同じ事を繰り返す。なんて人間は愚かな生き物なのだろうか

 

動き続けなければ生きがいは見出せないのだろうかとため息すらつきたくなる。

 

でもきっとそうじゃないんだろうね。

脳がいくらすげーーー効率の良い行動だからといって自堕落な生活の習慣を支配者の自分が認めていいわけじゃない。

脳が出した指示は自分の本心ではなく恒常性による習慣化の影響で変化を拒もうとしている証拠だからこそ、そこに気付いた時は反抗しなくちゃいけない。

 

ふとめんどくさいと思った時はそれは変化を拒もうとしている時だから人はその逆の行動を取る必要があるんだよね。

 

居心地よくいたい。気持ちいいままでいたい。

そう思えば思うほど脳の機能の思うままになる。でもそれで後悔したことなんていくらでもあるんだよきっと。

 

気持ち悪いことかもしれないけど

今の気持ちや感情に従うよりも綿密に計画した自分で作った習慣に従った方が成長段階にある人々にとってはよっぽど為になるんだと思う。

 

気持ち悪いことかもしれないけどね。

記憶なんて信用のないものでね、昨日一昨日の自分が一生懸命考えて作った計画でさえも

今日の自分がめんどくさいと思った、明日の自分がめんどくさいと思った、ただそれだけで全部なかった事にされちゃうんだよ。

 

それって自分に対する自分の気持ちや感情ほど信じれないものなんてなくない?

(嬉しいとか悲しいとかは別としてね)

過去の自分が今の自分を作ってるというのなら、そう主張する者らは過去の自分がこうしたいと思った行動をちゃんとし続けてこられたのか聞きたい。

 

きっと過去の自分のめんどくさいで潰されてきた自分の積み重ねがそのまま今も潰されたまま起き上がらないで今の今まで来ちゃったんだろうなって思う。

 

さも大義名分を振りかざすように見せかけて本当は何もしてこなかった日々の積み重ねなんだよね、その事実に気付いてしまったら動き出さないといけないなって思う。

 

これは自分に対してすごく思う。

全部が全部何もしてこなかったわけじゃないけど、少なからずこうした無駄にしてしまった日がまだまだあるからそんな小さな事から直していけば1年もあれば大きく変われるんじゃないかなって、そう思うよ。

 

 

 

という独り言でした。

おやすみ